三昧のブログ

ボイメンについて思った事を書きます。noteの記事を移行しつつ新しい記事も書きます

研究生の研究成果

何かの時にたくみんが「たくさん研究してきたんで」と冗談めかして言っていた記憶がある

その時は単純に冗談として捉え、笑っていた

研究生なんて、名前だけで「研究」という言葉に意味はない

そんな思い込みがあった

 

新曲が発売になった

BOYS AND MEN 研究生「BLAZING!!!!! - Single」

 

とにかくいい曲だった

疾走感と爽快感と力強さがバランスよく共存する

フェスで飛び跳ねたい

騒ぎたい

そう思わせる良曲

 

タイプは全く違うけれど、ボイメンにつながるものを感じた

ヤンキーの男臭さと誠の爽やかさをほのかに感じる

でも、彼らとは全く違う

BMKという特色が全面に散りばめられているそんな感じ

時代に合わせた楽曲ではなく

「これが俺たち」

という主張を感じる作品

フォーチュンアーティスト全てに当てはまる

我が道を行く感じを彼らにもしっかり感じた

そして何より

ボイメンのいいとこ取りをしている気がした

どちらの顔も間違いなく彼らの表情で

どっちに振っても最高にかっこいい

笑えば爽やかなアイドルで

睨みつければオラオラなお兄さんに変身する

爽やかとオラオラを行き交う彼らの楽曲は楽しい

ベースがしっかりと彼らなのでブレない安心感

それでもたくさんのカッコ良さを味わえる

可愛さももちろんある

まとまりのない先輩を持つ彼らの自由さは魅力だ

何をやっても、どんな表現でも

彼らが彼らである限りその色が変わることはない

BMKという揺るぎない特色で

たくさんの楽しみを私たちに提供してくれる

「これがBMK」ではなく「これもBMK」というスタイルはすごく彼ららしいというか

どんなものも自分たちで味付けしてものにしていく

その姿勢はボイメンのオタクの私にはボイメンイズムを感じてしまうし、背中を見て過ごすというのはこういうことなのかなと勝手に想像してしまう

センチュリーのMCで話していた

「どこから来たのか」という言葉がすごく心に残っていて

どこへ向かったとしても、始まりの場所を大切にしてくれている

その気持ちがとても嬉しかった

 

デビューは伸びてしまったけど

その伸びた期間もきっと楽しい思い出になる

そう確信させてくれるカッコいいグループだなと思いました

 

本当にいい曲!!!

夢を応援するということ

2019/12/02 12:53

BOYS AND MENの田中俊介がグループを脱退、退所した。
およそ1年間のグループ活動休止
その間、俳優としては着実にキャリアを重ねてきた
正直、このまま在籍していて欲しいと願っていた
私の願いは叶わなかった
タレントを応援するということは、その人の人生にフリーライドする事に似ている
その人の努力、苦悩に私は便乗しているだけだ
寄り添うことは叶わない
それでも、彼らの苦しみや努力を理解したいと思ってしまう
分けて欲しいと思ってしまう
何もできないのに
彼の退所に関して、思ったことがある
タレント活動とはなんなのか
グループとはなんなのか
事務所とはなんなのか
名古屋という、芸能の僻地で活動を続けた彼ら
様々な大きな夢を掲げ、走り続けている
10人で力を合わせて、少しずつ前へ
その足並みが揃わなくなった時
大切にするものはなんなのか
今までの歩みは間違いだったのか
たくさんの人たちを見送ったタレント活動だったと思う
その中で残った「10人」
人が減るたび、思うものは沢山あったと思う
その気持ちをともに乗り越えた仲間
その仲間たちと荒波を乗り越えられなくなった自分
彼の本心はわからない
目指すものが変わったのか
病気と向き合うためなのか
メンバーに迷惑をかけないためなのか
それでもわかるものがある
田中俊介はボイメンを愛している
彼の誠意を感じる
そんな別れだったと思う
新しいツイッターのアカウントが開設された
彼の今までのアカウントは変わらない10人の写真が使われている
憶測でしかないのだけれど、アカウントの権利はおそらく彼に全て譲渡されている
その上で彼は新しいアカウントを開設し
その告知、メッセージを事務所とメンバーの許可を得て書いている
ボイメンとしての力を借りない決意
そして、ボイメンへの誠意を感じた
名前を穢すことない元メンバーであるために
そして、事務所の夢を応援するという姿勢を感じた
小さな事務所だ、至らないことはおそらく沢山ある
労働環境も、賃金だってよくないと思う
それでも、旅立つメンバーには常に優しく温かい
ブログもTwitterも消そうと思えばすぐに消せるのだ
潰したければアカウントの告知なんてさせなければいい
でも、フォーチュンはそれをしない
退社したその先に明るい未来があるように
また、新しいステージで彼らが出会えるように
そんな心遣いを感じる
新曲のGGG
こんなにも素晴らしいはなむけの言葉があるだろうか
俊くん、今までありがとう
これからも頑張って

ポジティブモンスター

平松賢人のポジティブさがすごい

発言がポジティブというわけではなく

(いや、ポジティブだけど)

彼が発することでどんな言葉もポジティブな意味に変化する

それがすごい

先日のラジオで発した

「一番最後に日常に戻るのはライブだと思う」

というとても現実的な言葉

それすらもネガティブに感じさせない彼の話し方に驚いた

いつもと変わらない

良く通る、明るいトーン

彼の辞書にネガティブという言葉がないのではないか

そんなことを錯覚するほどの明るさ

ライブはメンバーとの距離が取れないから難しいということ

それはグループで歌唱することはできないという現実

それすら悲観的に話さない

なんとなく、大丈夫なのではないかと思わせる彼の話し方

ファンを不安にさせない能力がすごい

 

水野勝は現実と向き合い共感してくれる人だと思う

それに対し、平松賢人は現実と向き合ったうえで前へ推し進めてくれる人だ

決して楽観的ではない

でも、それは飛び越えられる壁だよと背中を押してくれる

強くではなく、寄り添うように

親が子の歩みを促すような

そんな背中の推し方

無責任ではない希望が彼にはあって

それがとても心強い

彼の言葉はどれも安心感に満ちている

 

太陽のような人というのは彼を指すのだと思う

誰かを照らしても尚、有り余る熱量

閉塞的な状況でも

何かを生み出し発信する

誰かのために、自分のために

何かできることを

そんながむしゃらで愛に満ちた彼の生き方はとてもまぶしいように思う

本当に、漫画の中の主人公のような輝きで私たちを照らしてくれる

 

彼と出会えて

彼がボイメンにいてくれてよかったと

心から思う

 

ボイメンが好きだ

 
 

私はどうしようもなくボイメンが好きだ
たぶん本当は理由なんかない
そこに彼らがいるから好きなんだ
チラシを渡されて、名前を知って
テレビに出ていたら嬉しくて
ラジオをたまたま聞いて
メンバーの名前を覚えて
気が付いたら5年の月日が流れていた

好きになるつもりなんてなかったのに

彼らのラジオはとにかく面白い
そして、バランス感覚が素晴らしい
私が最初に驚いたのは、ファンに対して遠慮しない事
若い子のブームに対して、平然と苦言を呈すること
そして、その理由をしっかりと述べること
ラジオを聴くとわかるんですが、本当にバカな子しかいないんですよ
なのに、自分の意見は理路整然と述べることができる
そんな子が多いグループ
自分はこうだからそれは嫌だ
自分はその意見は受け入れられない
ハッキリと述べて対立する
それでも空気は乱れない
お互いの違いを受け入れている関係性が見えるラジオ
たまに苛立っているのがわかる時もある
それくらい自然に対立して和解しているのが面白い
彼らに、いい意味での諦めを感じていて
「みんなが同じである必要はない」という当たり前だけど難しい価値観を共有しているのが好きだ

知れば知るほど、なぜ彼らがここまでやってこれたのか不思議で、先が見えない状況でここまで走り続けられたのは何故なんだろうと思う
性格もやりたいこともバラバラで、好きなものだって全然違う
だけど、全員が揃うととても嬉しそうな表情をするメンバーもいて見ているだけで幸せになる
彼らが好きだなって思う
きっと私の中には「ボイメンのここが好き」というものがなくて、ただ彼らがそこにいてくれることで満たされるものがあるんだと思う
歌も踊りもラジオも演技も好き
でも、一番好きなのはボイメンがボイメンである事
メンバーが揃っていなくても楽しい
変則メンバー大好き
そこにボイメンがいれば何人だって楽しい
推しにはいて欲しい
でも、きっといなくても楽しい
だってボイメンだから
歌って踊ってなくても楽しい
ボイメンだし

歌も踊りももちろん楽しい
新喜劇だってコントだってテンポ良くて面白い
北野誠さんも褒めるレベル(!)
どんどん新しい一面を見せてくれる彼らにドキドキしっぱなしだし、毎日ワクワクしてる
本当の意味で毎日何かがあるのすごい
情報解禁とテレビ出演とイベント続きで思い返す暇がないくらい
Twitterも楽しい、ブログも続けてくれてる
とにかく本当にずっと楽しい
そう、ボイメンはとにかく楽しませてくれる
そういう人たち
出会えてよかったし、たくさんの人に出会って欲しい


#いまから推しのアーティスト語らせて
#boysandmen

 

あるべき姿の不在

 

 

学ランを纏い歌い踊る10人組
BOYS AND MEN 通称「ボイメン」
私の大好きな名古屋の町おこしお兄さん

好きにならなくてもいい
名前を覚えて
何年後でもいい
僕らずっと名古屋で活動してるから
いつか、名前を思い出して会いに来て

メンバーの田村くんに言われてから数年
私は本当に彼らを思い出し
気付けば彼らが大切な存在になってしまったのです

彼らには「あるべき姿」というものがあまりないように思います
「こうあるべき」という形に囚われない柔軟さ、自由さに私はとてつもなく惹かれているし
また、その姿がファンを楽しませているのだとも感じています

彼らは所謂ヤンキーをモチーフにした学ランの衣装で
「男らしさ」を掲げて活動しています
しかし、そんな彼らに内在する「男らしさ」の多様性は私たちの常識に当てはまらないもので
なにが「男らしさ」なのか、そんなものがこの世に
存在するのかと問いかけてくるようでもあります

「あるべき姿」

その曖昧で無責任な存在に人は縛られています
しかし、彼らはその枠組みを当たり前のように飛び越え、壊していきます
名古屋を拠点に芸能活動をするという常識では考えられないスタート
全国区の番組への出演
そして、ナゴヤドーム公演
次々と常識を打ち破る彼らに今までの「こうあるべき」は通用しません

自由に、しゃかりきに活動する彼らはとても面白く
フェスに出演したくて、主催者である西川貴教に直談判したり
野球が好きすぎて社会人草野球チームに所属したり
楽曲が使用された作品に個人的にリプライしたり
とにかく、利用するものは何でも利用するし
やりたい事は全力でやる
そして「好き」を仕事につなげていく
本当に、見ている私たちが幸せになるような活動をしているんです
仕事、頑張ろう
私も好きを大事にしよう
そんな気持ちにさせてくれる人たち

元気を押し付けることなく
元気を届けてくれる

そんな人たちだから、スッと日常に入り込んでくる
元気なだけじゃない
愚痴も言うし、弱音だって吐く
そうやって私たちに寄り添ってくれる
そんな素敵な10人
いつまでも、一緒に歩き続けられたらと思う

2019/10/24 17:03 note より

オタクとお金の話

ライブコンテンツの提供が収入に直結するシステムが主流になっていた現代でライブコンテンツが提供できなくなった今、どうお金を落とすかで悩んでいるオタクも多いと思う

 

所謂、祭壇を形成するタイプのオタクは買うことでオタクを続けられるけど、会うことに価値を見出している人はモチベーションが下がるだろうし、お金を落とす方法がないことにストレスを感じている可能性もある
コンテンツの形が対面でないと意味がないと思う人は多くて、その人たちにとって会えない現状はオタクである意味を失わせるのに充分な状況なわけで、今の状況を耐えるのは正直キツいと思う

それに耐えられなくなることはすごく自然

 

私は祭壇を作るタイプの人を否定する気はないし、私自身も祭壇作りがちなタイプではあるけれど、無限回収のように買うことが正義になりがちなオタクの思想は危険ではあると思う
買い集めるだけがオタクのあるべき姿ではないはずで、対価を払う事が健全な消費行動であり、どれだけお金を使ったか、集めたかは本来重要視されるべきではない
ただ、オタクがお金を使わなければグループが存在できない現実はあるので、お金を落とす人は強いという暗黙の認識ができることは否定しない
ただ、この暗黙の認識がオタクを追い詰める

 

たくさんの時間とお金を費やさなければオタクではないという認識の人がいるのは事実で、その認識を完全に否定する事も難しい
集客がある、オタクがお金を落とすという事実は企業に対しても有効で、グループの活動を広げる

これは間違いない事実

ただ、日本で時間を使える人はお金がない学生の場合が多い
そういう人たちがお金と時間を使おうとすると、その人の人生に大きく作用してしまう場合がある

しかし、それは避けなければいけない事だ

オタク活動に人生を委ねてはいけない

 

オタクが若年齢化していることもあり、推す行為がその人の人生を変えてしまうリスクを伴うようになっていると感じる
強いオタクになりたいと願う事が人生のプラスになる事は少ないと思う

私は推す行為を人生のフリーライドと表現している

誰かの人生にフリーライドする事で得られる体験は結局は自分の血にも肉にもならない
その人の成功も失敗も、結局は自分のものではない
グループの成功はそのグループのものであり、オタクに返ってくるものは感情としての喜びだけだ

人生は死ぬまで続くものではあるけれど、ある程度落ち着いた状況に置かれた人と、これから何かを掴まなければいけない人には大きな隔たりがある
そこを理解せずに同じ土俵で活動しようとすると、その先には搾取という単語が出てくるようになる

一定のラインを超えたオタクは楽しみとしての対価を払うオタクではなく搾取されるオタクへ姿を変える


お金を払う事が義務になったオタクは搾取されるオタクだ

私は一度の配信でそこそこ課金してしまうので搾取のギリギリのラインにいるのかなとは思う
でも、課金したいと思わない時は全く課金しないのでまだ義務のラインには達していない
歌って欲しい曲歌ってくれたらそりゃ払うさ、オタクだもん

オタクがどのスタンスで課金をしているかはわからない
でも、生活を崩すラインで課金をしている人はその生活を一度見直して欲しいなとは思う
ライブハウスに通っていた時にそういう人に何度も出会ったけど、彼女たちが純粋に音楽を楽しんでいるかは疑問だった
お金がないとそれだけで生活は荒れる

 

会えない代わりに何かしたいと思う気持ちが過剰な課金に繋がったりしないといいなと思う
不安はみんな同じだと思うし、お金を払いたいのはわかる
でも、対価を求めることも忘れないで欲しい
私たちは推しに貢いでいるわけではない

 

2020-06-08

Twitterより

推すということ

BMKの北川せつらが脱退、退所を発表した
ライブを見たときにとても目を引くメンバーだった
推しではないけれど、衝撃だったし動揺した
そして、「推す」という事を考えさせられた

 

彼はまだ21歳だ
将来の選択肢は幾らでもある
でも、ファンは今の彼である事を望んでしまう
今のBMKの北川せつらが好きだから
BMKの北川せつらを求めているから

 

しかし、それが彼の人生にとってプラスであるかは彼にしかわからない
彼の人生は彼だけのものであり、私たちは観客でしかない
その距離がどれだけ近くても、人生はその人だけのものでありその他はすべて観客にしかなれない
これはタレントも一般人も関係ない
すべての人生の主役はひとりだけなのだ

 

「推す」という事は、他人の人生にフリーライドしているだけなのかもしれないと思った
その人の夢、希望を消費する行為に近い
でも、消費とは違う何か
推しと共に人生を歩んでいる錯覚に陥ることのできる麻薬のようなもの

 

私が推す事によって推しが幸せになるのかわからない
でも、彼が望む道があるのならその道をついていきたいと思う
その場所に連れて行って欲しいとも思う

 

自分の愛した推しの道を全肯定するのは難しい
肯定する必要がない時だって当然ある
その時は推しと別れる時であり、文句を言いながら推すのは違うとも思っている

 

タレントは自身を売る仕事である
でも、その仕事から離れた時タレントは忘れられる権利を手に入れる
彼がどんな道を歩くかわからない
でも、その道を困難なものにしないのが私たちにできる事なのかもしれない

 

彼の未来が明るいものであるように
7日のソロライブ
すべての人が後悔することのないライブになりますように

 

note 2019/09/02

https://note.com/virus/n/nda4cd6895fd4